
2011年3月11日(金)
東北地方でM9.0という巨大地震が発生いたしました。
被災者の皆さんの無事と、被災地の一日も早い復興を
心よりお祈り申し上げます。
わっかでは、ガッテン・リョータが救援活動のため、現地に向けて出発いたしました。
このページで随時状況をお知らせして参ります。
どうぞ皆さまのご支援をよろしくお願い致します。
<現地でともに活動している仲間たち>
OPEN JAPAN (旧:石巻ボランティア支援ベース 絆)
続・雨ニモマケズ風ニモマケズ | 四万十塾 | はからめ | ヒューマンシールド神戸
<活動資金のカンパについて>
現地までの渡航費や必要とされている機材の調達費、活動費などに費用がかかります。
わっかの活動を支援してくださる方は、 info@wakka.biz まで、直接お問合せください。
第八章 『道』 3月20日~27日 活動報告
がってんより、3月27日のレポート
第八章:『道』
2月27日レポート
津軽海峡を越えて北国に帰ってきました。
津波で破壊された石巻の街並みは知らないのですが、
夜になると居酒屋さんが開いていたり、
やきとり屋さんが煙を上げていたり、
賑わいを感じます。
昨年の今ごろの商店街と言えば、
流れ着いた瓦礫と車がうず高く積みあがり、
道行く人々は肩をすぼめ何かを探し、
以前に賑わいがあった事さえ忘れさせる風景でした。
一人一人の一歩が街並みをきれいにしました。

僕がボランティアとして目指したものは、
町に暮らす人々の目指した未来のお手伝いになりましたでしょうか。

(photo関川氏)
道はまだ半ばだと感じています。
僕はただみんなの生きる背中に心を動かされ、
被災された多くの人々の笑顔に似た喜びが見たいです。
未来を信じて歩く人の、
道を切り開くお手伝いがしたいです。
私はただそれだけなのかも知れません。

勇気と優しさを教わったこの一年でした。
がってんより、3月25日のレポート
3月25日レポート
東松島の民宿を後にして、
門脇を通り日和山に行きました。
昨日は住宅街の仮設住宅内に一日いたので、
津波で破壊された町並みを肉眼で始めてみた人がほとんどでした。
日和山から見える破壊された町並みは、
仮設に暮らすおばあちゃん・おじいさんたちが暮らしてた町です。
この中を生き抜いてきたのです。

日和山から一路、
湊中学校、湊小学校を通り雄勝地区へ向かいました。
雄勝地区は4,000人住んでいた町ですが、
全ては津波で破壊され今では数百人になってしまいましたが、
暮らしを取り戻す為に残った人々で前に前にと進む気持ちが強さをとても感じました。
今日は雄勝の町で復興市が開催されていました。
雄勝は硯の町です。
愛媛から来た高校生『書道ガールズ』が大きな紙に力強く書いてくれました。
彼女たちが彼女たちの出来る復興へのエールを力強くやってくれて、
不覚にも僕の胸にもググッと来てしまいました。



無心で字を書く彼女たち
彼女たちの出来る最大の復興のエールは、
多くの人々の心に強く残った事と思います。
がってんより、3月24日のレポート
3月24日・25日レポート
24日
昨夜から降った雪も朝にはやみましたが、
雪はそれなりに積り、
足元の悪い状態での『サンライス元気村』プロジェクトのスタートとなりました。

弟子屈の町で集めたお米を、
東京や日本各地から探検隊を通してつながった33名の仲間と配れるのは、
ありがたい事です。





この一年、
こんな私がボランティアなんて出来るんだろうか
ボランティアって敷居が高く感じる
気にはなっていたのだけれど・・・
今日その一歩を始めて踏み出して事とと思います。
テレビでラジオで知っていいた風景の中で、
生きている人々とリアルに向き合った一日でした。
一年が過ぎ今、
東北の現地に出向きボランティアをする事はとても勇気がいることと思います。
そこぬけに明るいお年寄り、
塞ぎ込むお年寄り、
生きる事に手が付かなくなっているお年寄り・・・
3キロのお米を通して自分の全てで向き合った事と思います。
共にお米を配った仲間の一人は、
とても元気と勇気を貰ったと帰り際に聞きました。
晩はみんなと共に東松島の民宿に泊まりました。
沢山の思いから
地震のこと
津波のこと
零れ落ちそうなぐらいに話しました。
がってんより、3月23日のレポート
3月23日レポート
明日は『サンライス元気村fromてしかが』にて、
町の多くの人が関わって袋詰めしていただいたお米を仮設住宅へお届けに行く日です。
『サンライス元気村プロジェクトfromてしかが』
http://3rice-teshikaga.jimdo.com/
私と共に仮設住宅に暮らす一人暮らしのお年寄り宅へお届けをしてくれるのは、
弟子屈町を流れる釧路川を共にカヌーで旅する仲間、
旅の会社『地球探検隊』
http://www.expl.co.jp/shinsai/201203/index.html
皆さんからお預かりした気持ちを共にお届けしてきますね。
僕は思うのです。
世界中、日本中を旅すると、
各地で出会った自然の風景や暮らし、
人々の温もりに触れて、
沢山の勇気や気付きに癒されます。
旅で分けていただいた、
心地よい気持ちを今、
必要としている地域へ
共に注ぎましょう。
がってんより、3月22日のレポート
3月22日レポート
今日は朝から一路福島市へ移動しました。

(誰も居ない公園はとても寂しい風景です)
市内はなんら変わらぬ風景です。
学生は普通の制服で楽しげに歩き、
犬の散歩に歩く人々。
僕たちの持つ3台の線量計はこの風景の中では見えない放射能物質をしっかりと捉え、
数字として表しています。
0・2μSv・0.5μSv・1.7μSv・2.1μSv・・・



北海道から行ったせいでしょうか。
上がり続ける数字に恐怖に似た怖さを感じます。

慣れたのでしょうか・・・
ただ僕にはその表情を読み取る事が出来なかったのでしょうか。
すれ違う人々は、どうしようもないやるせない気持ちを胸に
押しつぶされないように必死なのかも知れません。

押しつぶされないように必死に生きる事に向かう女性が2人います。
彼女たちは自分の体を気遣い、
地元の人々の体や生き方を気遣い、
今私たちに何が出来るかを真剣に考えています。
若い彼女たちはこれから沢山の迷惑をかけながら、
人生の道を切り開いていく事と思います。
その時はきっと多くの人の助けが必要です。
今私たちは、
押しつぶされないように必死に出口を見つけ出そうとしている小さな声を、
聞き落としてはいけないと思います。
がってんより、3月21日のレポート
3月21日レポート
午後に石巻に着きました。
とても風が強く雪の無い大地から吹き上がる埃がすごいです。
風の強い日はマスクをした方がいいです。
昨日はお彼岸でした。
家のあった所や路地などにお花が置いてあります。

牡鹿の浜ではワカメ漁の最盛期だそうです。
あの漁村のおじさんに、
この漁村のおじいちゃんやおばあちゃんの元に早く足を運びたいなと思います。
漁村に活気が戻ってきたのかなぁ。
なんだかとてもうれしいです。

(2011・5月の漁村から)
そうそう写真は取れなかったのですが、
草木も春の色が入っていました。
新しい季節と共に、
自然も人も一歩一歩、
歩み始めている感じが少し感じました。
がってんより、3月20日のレポート
震災から1年が過ぎました。
まだまだ雪の残る北海道の東の端にある小さな町弟子屈町で、沢山の方々がメセージ付きのお米を用意してくれました。
北国の日常では東北沿岸の今の状況を想像するのは難しいけれど、このお米には一人一人の思いが詰まっています。
一人でも多くの方々が自分の道を歩んで行けますように、思いを込めて今海を渡ってお届けしてきます。

がってんより、3月11日のレポート
3月11日
一本の鍬を手に持ち、
まだ雪の残る風景の中、
雪できしんだ温室ハウスの中で野良作業。
少し汗が出ます。
とても長い時間に感じたこの一年。
いろいろな葛藤と共に過ごした日々でもありました。
一本の鍬を持ち、
一本のパドルを手に、
一本の鋸を使い、
一本のスコップで掘った家の基礎・・・
17年前に家内と2人降り立ったこの荒野。
一本から始めた、あの日を忘れない。
尊い魂が、安らかに眠れますように。
尊い命を大切にする環境を創っていけますように。
3.11、けして忘れない。
今日は家族と共に過ごしたいと思います。



